ゆうゆう通信No71「執着を手放す」

年末の大掃除が気になる今日この頃、「手放す」というワードがどうも気になってしまい、今年度最終の通信のテーマとすることにしました。皆さんは「手放す」というワードに何を思いますか?一番身近なことでは、物を「手放す」という「断捨離」を思い浮かべるかもしれません。あるいは「親離れ、子離れ」等、人間関係を想像するかもしれません。でも、今回はそういった事象の根本にある、「何かに執着する気持ちを手放す」ということを考えたいと思います。

 

そこで、ヨガの本質である「瞑想」の話となります。ヨガは「今、ここ、自分」に集中します。自分の内側に集中したからこそ「心がからっぽ」になる。ですから、自分の内側に集中したいのですが、心がざわついていたり、波立っていると、どうしてもうまくいかない。体を動かしながらも、全然違うことを考えてしまう。誰でもあることです。そして、大半がそんな状態かもしれません。それでは、何が自分の集中を妨げているのか?ヨガでは、それが「執着」であると考えるのです。

 

それでは、「執着」とは何でしょうか?単語の意味を調べると、「一つのことに心をとらわれて、そこから離れられないこと」とあります。「執着」は、自分の内側に気持ちを向けたいのに、別の方向に引っ張っていこうとする大きな抵抗勢力です。この「執着」は、いつでも自分を羽交い絞めにし、身動きがとれなくしてしまいます。例えば、「こうあるべき」という強固な考え、「こうしないといけない」という何かを極度に恐れる気持ち、人にどう見られるかという不安、それが強すぎれば、そんな思いも全て執着です。簡単に手放せない思いは全て「執着」なのかもしれません。

 

そんな風に、いつもいつもこの手に、ものすごい力でギュッと握り締めている「執着」を、せめてヨガを行っている時には、ふっと力を抜いて手放したいものです。だから、まずは体からリラックスし、ふっと一息。その吐く息とともに、握り締めているこの拳をほんの少し緩めたいなぁといつも思うのです。「手放せれば楽になるのになぁ」という思い、きっと誰にでもあると思います。過去の悔やみ、未来への不安、せめてヨガの時間だけでも手放したいものです。